以下の論文は細川亙院長が美容外科医や形成外科医を対象として書き、雑誌「形成外科」(克誠堂出版株式会社発行)に掲載されたものですが、現代日本の美容医療の問題点を深く掘り下げた内容です。美容医療に関心をお持ちの一般の方々にも読んで頂くために克誠堂出版株式会社の許可を得てここに転載致しました。
雑誌形成外科62巻11号(2019年発行) 特集:「美容医療の問題点」より転載
美容医療の現状分析と健全化のための提言
大阪みなと中央病院院長・美容医療センター長 細川亙
本論文は,第105回日本美容外科学会(JSAS)学術集会(2017年5月16~17日)において著者が日本形成外科学会前理事長として特別講演した「これからの美容外科」の内容から一部を削除し, またその後の厚生労働省や消費者庁の動きなどの関連事項を加筆して作成したものである。なお,特別講演「これからの美容外科」のそのままの内容は, 日本美容外科学会誌53:3 8-41,2017および細川亙教授退任記念誌(2018年11月,大阪大学形成外科発行)pp177-183に掲載されている。
はじめに
美容医療の現状を知ることは,今後の美容医療をより良い方向に導いていくために必須のことである。本稿では, 医療の中での美容医療の特殊性に注目しさらにビジネスとして見た場合の美容医療の特性を分析していく。その現状分析に基づいて日本の美容医療の健全化のために提言していきたい。
I 医療としての美容医療の特徴
美容医療は医療の中の1分野であるが, 基本的にこの医療はそれ以外の大半の日本の医療とは大きな違いがある。ほかの医療と異なる点を挙げると,実はたくさんあるが,わかりやすいように3つに絞る。1つは, 健康保険が使えない自費診療である,ということである。 次に, 1つのクリニックが対象とするテリトリー(診療圏)が大変広い,ということ,そして最後に,この分野の教育システムが確立していない, ということである。通常の医療とは異なるこの3つの特徴について考察し日本におけるほかの医療との比較を試みたい。
1 自費診療であること
自費診療,すなわち保険外医療であるがゆえに, 厚生労働省(以下, 厚労省)による管理監督が大変緩いという現実がある。 厚労省や消費者庁なども最近では少し美容医療に関する監督を強化していかなければならないという意識をもってきている。しかしこれまでいろいろな医療材料,医療機器,治療法などについて,保険医療の場合には厚労省の各部局が厳しく管理してきているが,保険外医療である美容医療についてはかなり放任している。 もちろん行政の管理監督が厳しいことには功罪両面があるが,厚労省の管理監督が緩いということによって美容医療にさまざまな問題点を生じていることは確かである。 端的に言えば,権威付けされた治療法(標準治療)というものがなく,それぞれの施療者の独自の判断によって独自の治療が行われるのが常態になっている。 つまり医療の質が担保されていないのである。 また「健康保険が使えない」ということは, 医療費に公定価格がなく,施設によって医療費の価格がぱらぱらであることにつながり, 医療費が高額になりやすい面がある。 その一方で,逆に不当廉売的に異常な安値が出現したりする原因ともなっている。
2 クリニックの診療圏が広いこと
これは美容医療の中でも美容外科に見られる特徴である。 美容皮膚科や美容内科などではそうでもないが,少なくとも美容外科では患者密度が低く,狭い診療圏では経営的に成り立ちにくいという現実がある。 例えば通常の内科や小児科や眼科や耳鼻咽喉科などのクリニックはその町や村の人たちを対象にするだけで経営的に成り立つが, 美容外科ではそういう訳にはいかない。地域を超えた広い範囲から患者を集めなければならないので,宣伝広告が必須ということになる。また,診療圏が広く患者密度が低いと, 医療機関の評価を地域の口コミが決めるという作用が働かない。患者側からの医療機関選びが地域の評判ではなくマスコミなどを頼って行われることになり, 宣伝広告が経営上大変重要になる。つまり, 地道に地域で信頼を得て根付いていく通常の医療とはかなり異なる医療にならざるを得ないという側面が, この「診療圏が広い」という特徴によって生じる。この宣伝広告費は経営にとって大変な重荷になり,また,最終的には患者の治療費に上乗せされて高額な医療費になりがちである。
3 教育システムが確立していないこと
ひと昔前までは美容医療を目指す医師の教育をする大学や大病院はなかった。美容外科を志す人たちは独学であるいは既存の美容外科クリニックで修行しその後独立するような育ち方をしていた。既存の美容外科クリニックも弟子の育成をする能力があるとは限らないし,能力はあるとしても教え子が独立して開業すれば自分のクリニックの経営上は打撃になる。先ほど指摘した「診療圏が広い」という事情も絡んで,弟子がその地域以外で開業しても診療圏が広い美容外科の場合には競合する同業者になってしまうのである。 したがって美容クリニックも後進の教育・育成ということに熱心であろうはずがない。ほかの診療科では,若い医師たちをできるだけ早くしっかりとした技術をもった医療人に育てようとすることは当然のごとく行われている。そして多くの場合その教育の場は,大学や市中の病院である。やっと20年ほと前から各地の医育機関でも美容外科の看板を掲げるところが増えてきたが,教育システムという意味ではまだまだほかの診療科と比べて周回遅れの状態といえる。
4 日本の医療の中での美容医療
現在の日本の医療は,世界からどのような評価を受けているのか? 厚労省の医療行政が果たしてきた役割については功罪のあるところではある。しかし日本の医療が低コストの中で安全・安心・高品質と評価されていることには,厚労省の政策が大きく寄与していることは否めない。保険医療において用いられる医療材料, 医療機器,治療法に対する安心感, 医療費に関する安心感,いずれも世界最高水準の安心感を日本の医療は備えている。現代の日本の医療は大変高品質であるという世界的な評価が定まっており,世界の中での医療ビジネス,医療ツーリズムの勝者の立場になりつつある。例えば, ロシアや東南アジアでは日本からの医療の導入に大変熱心であるし, 中東や世界各国から心臓病などの治療のために患者が日本を訪れているというような現実がある。そのように日本の医療への信頼度は世界的に見ても大変高い状況にあるのだが,翻って, 日本の美容外科・美容医療に対する国内外からの評価はどうだろう。自費診療である美容外科・美容医療に対して 厚労省はこれまで保険医療に対するほどの介入をしてこなかった。自費診療は患者と医療機関との自由な契約に基づいて行われるとして,当事者間の意思を尊重し基本的に介入しないという立場であった。しかしこの自由放任によって日本の美容外科・美容医療はほかの医療分野に比べれば安心感のない信頼性の薄い医療になっているといわざるを得ない。
II ビジネスとしての美容医療の特徴
美容医療とほかの医療との違いに光を当ててきたが,そのなかで自由診療であるということが美容医療を大変混沌としたものにしているということが明らかになったと思う。 さらにこの自由診療ということにより,美容医療は医療の世界にありながら「ビジネス(商い)」 という要素を濃厚に含んだ分野になっているという事実にも注目しなければならない。
通常の保険医療においては「ビジネス」という要素は大きくない。保険点数により対価を決められ,治療方法や用いる材料などを指定された医療においては, 幸か不幸か,「ビジネス」という面はほぼ失われ,個人のクリニックにおいてさえ,あたかも公務員が医療を配給しているかのようである。それに比べて美容医療は明らかにビジネスである。ここでは美容医療をビジネスとして見ながら,その特徴を考えていきたい。著者が考える美容医療のビジネスとしての特殊性は以下の5つである。
通常の保険医療においては「ビジネス」という要素は大きくない。保険点数により対価を決められ,治療方法や用いる材料などを指定された医療においては, 幸か不幸か,「ビジネス」という面はほぼ失われ,個人のクリニックにおいてさえ,あたかも公務員が医療を配給しているかのようである。それに比べて美容医療は明らかにビジネスである。ここでは美容医療をビジネスとして見ながら,その特徴を考えていきたい。著者が考える美容医療のビジネスとしての特殊性は以下の5つである。
- 商品(サービス)の品質がわかりにくい
- 商品(サービス) の相場価格がわかりにくい
- 当事者(医師と患者) 間で商品(サービス)に関する知識量の差が大きい
- 特に美容外科では一見の客が多い
- 健康被害を生じ得る商品(サービス)である
これらの特徴はビジネスとしての美容医療という業界を大変不透明で危ういものにしている。 家具や家電製品や海外旅行パックなどを売っているような業界とは明らかに別次元の暖昧さと危険さを含んだ業界である。 安い料金を提示して施術に誘い,さまざまな手法で結局高額な金銭を巻き上げるというような事例も現実に起きている。 さまざまな医療トラブルを起こした後にクリニックは廃業したり,経営者が変わって責任追及をできなかったりすることもまれではない。このような基本的道徳に欠けた一部のクリニックのために, 真面目に美容医療業を営んでいるクリニックは風評被害を受けるしさらに問題なのは「類は友を呼ぶ」という現象を引き起こし, 美容医療界にはこのような反道徳的なビジネスをしようとするアウトローな医師たちが集まってくる傾向にある。このような一部の不届きな医師たちのために,不幸な顧客が生まれるとともに, 美容医療界は評判を落とすことになる。 もちろんこのような美容医療の問題点は日本だけではなく,中国や韓国,さらに欧米を含めた先進諸国にあっても見られる。 しかし少なくとも美容医療以外の医療分野において, 日本は世界の手本となる状態にあるのだから, 美容医療分野だけが遅れていることに甘んじてはいけない,美容医療の分野も世界をリードするような高品質なものになってほしいと思う。そして,美容医療の業界が健全な世界となり,その世界で仕事をすること自体,尊敬されるような業界になってほしいと願うのである。
III 健全化のための提言
前述のような現状認識に立ったうえで,「信頼される美容医療」にするにはどうすべきかを考えていこう。
今後, 日本の美容医療が信頼を得るようになるには,以下の4つについて考える必要があると著者は考える。
今後, 日本の美容医療が信頼を得るようになるには,以下の4つについて考える必要があると著者は考える。
1 医師の質
まず医師の倫理的な質の問題がある。 美容医療はほかの医療と比べて悪徳な医師たちの比率がかなり高い。これは是正しなければならない最大の問題である。これなしに美容医療が信頼されるようになることはない。 日本には現在2つの日本美容外科学会(JSASとJSAPS)が併存状態にあるが,この2つの美容外科学会が協力して反倫理的な医師たちの排除を行わなければならないと考える。 いずれの学会であろうとも学会員のほとんどが真っ当な美容医療をしていると思われるが,いずれの学会にも所属していないような医師たちによって行われているアンダーグラウンドな美容医療に大変大きな問題がある。 学会に所属して技術を磨こうなどという思いが一切なく患者を食い物にして美容医療を単なる金集めの場と考えているような医師たち,この人たちが日本の美容医療を大変貶めている。 この人たちを除くのにどのような手段を使うのか,頭をひねらなければならない。厚労省や消費者庁など公的機関の力を借りるか,新しい専門医制度を活用するか,マスコミなどを使って患者への啓発活動を行うか,いろいろな方法が考えられる。 新しい専門医制度を利用するという手段においては,遠くない将来,美容外科を形成外科の2階建てに乗せて「公に認められる美容外科専門医制度」を作ることになりそうである。 このことによって,アングラ的な美容外科医を排除するという道筋を取れば良い。そのためには,これまでJSASに所属し,しかし日本形成外科学会には所属せずに美容医療に取り組んでいた人にもこれからは形成外科学会に所属してもらい, JSAPS系の医師とともに一丸となって悪徳美容外科医を一掃するように協力してもらう必要がある。 ただ, 実際の効果が出るには早くても10年以上はかかるであろう。
また,医師の倫理的な質のほかに,医師の質として技量の問題もある。美容医療の健全化のためには技量の劣る医師は美容の世界から排除すべきだという主張をする人たちも少なくない。しかし著者はこの点に関して言えば寛容であるべきだと思う。 医師の技量に差があるのは美容医療に限らずほかの医療分野においても同様である。技術的に拙劣な医師が美容医療界に特に多いとは思えない。技量の劣る医師はどの診療科にもいるものである。すべての医師が平均以上の技量であるようなことは理論上もあり得ない。カリスマ的な技術をもった医師がいる一方で,その集団のなかで最も拙劣な腕の医師も存在するのである。 しかしどの診療科においてもそのことはあまり問題とされない。拙劣な腕の医師を駆逐しようとするようなことは耳鼻咽喉科でも眼科でも脳外科でもしていない。実は技術的に拙劣であってもあまり問題になることはないのである。 それはなぜなのか。各診療科には,大した技術を必要とせず,かつあまり患者被害も生じないような診療分野があり,そのような分野にそれらの人たちは従事することができるからである。 同様に美容医療の分野でも高い技量を獲得できない医師が生きていくための分野が存在するべきなのである。それでこそ1つの診療分野として技術のある人もそうでない人も抱え込み,完結できる分野になる。 そういう意味で著者は純粋に美容外科というのではなく, 美容外科のほかに美容皮膚科や美容内科などを含んだ美容医療という単位で診療科を考えるべきであると思っている。 美容外科に絞った診療科では,いろいろな技量の医師を包含することのできない不完全な診療科になってしまい,結局手術技量に劣る医師たちが安全に仕事をする領域がなく,結果として不幸な医師と不幸な患者を生むことになる。 技量の劣る医師たちを排除するのではなく,その人たちが安全に生きていける場を提供することを図らなければならない。
また,医師の倫理的な質のほかに,医師の質として技量の問題もある。美容医療の健全化のためには技量の劣る医師は美容の世界から排除すべきだという主張をする人たちも少なくない。しかし著者はこの点に関して言えば寛容であるべきだと思う。 医師の技量に差があるのは美容医療に限らずほかの医療分野においても同様である。技術的に拙劣な医師が美容医療界に特に多いとは思えない。技量の劣る医師はどの診療科にもいるものである。すべての医師が平均以上の技量であるようなことは理論上もあり得ない。カリスマ的な技術をもった医師がいる一方で,その集団のなかで最も拙劣な腕の医師も存在するのである。 しかしどの診療科においてもそのことはあまり問題とされない。拙劣な腕の医師を駆逐しようとするようなことは耳鼻咽喉科でも眼科でも脳外科でもしていない。実は技術的に拙劣であってもあまり問題になることはないのである。 それはなぜなのか。各診療科には,大した技術を必要とせず,かつあまり患者被害も生じないような診療分野があり,そのような分野にそれらの人たちは従事することができるからである。 同様に美容医療の分野でも高い技量を獲得できない医師が生きていくための分野が存在するべきなのである。それでこそ1つの診療分野として技術のある人もそうでない人も抱え込み,完結できる分野になる。 そういう意味で著者は純粋に美容外科というのではなく, 美容外科のほかに美容皮膚科や美容内科などを含んだ美容医療という単位で診療科を考えるべきであると思っている。 美容外科に絞った診療科では,いろいろな技量の医師を包含することのできない不完全な診療科になってしまい,結局手術技量に劣る医師たちが安全に仕事をする領域がなく,結果として不幸な医師と不幸な患者を生むことになる。 技量の劣る医師たちを排除するのではなく,その人たちが安全に生きていける場を提供することを図らなければならない。
2 医療の質
医療の質を担保するシステムづくりも考えなければならない。医師の技量格差についてはある程度寛容であるべきだが, しかし医療の質を担保することについては,おざなりで
あってはならない。そして医療の質を担保するには,医師教育と医療監査が必要と考える。
まず医師教育について,近年は大学における美容医療教育も少しは始まっているが, まだまだの状態である。現状では今後とも美容医療分野の医師育成を医育機関や大病院に期待するのは難しいと考える。 また, もちろん開業医に商売敵になるであろう人の教育を依頼するのも無理がある。そういう意味でやはり,美容外科のベースとなる形成外科や,美容皮膚科のベースとなる皮膚科というようなものを,美容医療の専門医になる前提としての素養教育として受けさせるのが現実的だと思われる。 したがって,美容外科が新専門医制度の中で、形成外科の2階建てに乗る方向で進んでいるのは良い方向である。そのような基本的な素養を身につけたうえで,サブスペシャリティとしての美容外科専門医になるための教育システムを構築していかねばならない。
次に医療監査の件であるが,これは医療監視と言ってもいいかもしれない。大きな病院などで行われる医療行為は同じ診療科のほかの医師の目や他科の医師の目,多くのパラメデイカルの目などに晒される。 また,それらの施設の医師は人事異動による転勤もあり世の中の標準的な医療との比較を常に行うことができる状態にある。一方,個人のクリニックでは必ずしもそうではない。いわば人目に触れない閉鎖空間で行われる自費診療は先鋭化したりガラパゴス化する恐れがあるし, 合併症などを隠蔽する傾向にもある。 また,美容医療では未承認の医薬品や医療機器が医師個人の裁量によって用いられている。 確かにこれらの医療材料や器具を用いるにあたって医師の裁量が大きいことにはメリットもある。しかし個人輸入して用いられている材料や器具によってさまざまな患者被害が出ていることも事実である。このように,特に個人経営の美容医療に関しては,信頼性を得るための医療監査的なものが必要と考えるのである。 この点に関して厚労省や保健所が介入したがらないのであれば, 美容外科学会や形成外科学会として監査制度を立ち上げるようなこともすべきではなかろうか。そうすればちゃんと医療監査を受けているクリニックということで,患者が安心して受診できることになる。 また, 学会として各種の施術に関するガイドライン的なものを作成して医療の質を確保するような努力も必要であろう。
あってはならない。そして医療の質を担保するには,医師教育と医療監査が必要と考える。
まず医師教育について,近年は大学における美容医療教育も少しは始まっているが, まだまだの状態である。現状では今後とも美容医療分野の医師育成を医育機関や大病院に期待するのは難しいと考える。 また, もちろん開業医に商売敵になるであろう人の教育を依頼するのも無理がある。そういう意味でやはり,美容外科のベースとなる形成外科や,美容皮膚科のベースとなる皮膚科というようなものを,美容医療の専門医になる前提としての素養教育として受けさせるのが現実的だと思われる。 したがって,美容外科が新専門医制度の中で、形成外科の2階建てに乗る方向で進んでいるのは良い方向である。そのような基本的な素養を身につけたうえで,サブスペシャリティとしての美容外科専門医になるための教育システムを構築していかねばならない。
次に医療監査の件であるが,これは医療監視と言ってもいいかもしれない。大きな病院などで行われる医療行為は同じ診療科のほかの医師の目や他科の医師の目,多くのパラメデイカルの目などに晒される。 また,それらの施設の医師は人事異動による転勤もあり世の中の標準的な医療との比較を常に行うことができる状態にある。一方,個人のクリニックでは必ずしもそうではない。いわば人目に触れない閉鎖空間で行われる自費診療は先鋭化したりガラパゴス化する恐れがあるし, 合併症などを隠蔽する傾向にもある。 また,美容医療では未承認の医薬品や医療機器が医師個人の裁量によって用いられている。 確かにこれらの医療材料や器具を用いるにあたって医師の裁量が大きいことにはメリットもある。しかし個人輸入して用いられている材料や器具によってさまざまな患者被害が出ていることも事実である。このように,特に個人経営の美容医療に関しては,信頼性を得るための医療監査的なものが必要と考えるのである。 この点に関して厚労省や保健所が介入したがらないのであれば, 美容外科学会や形成外科学会として監査制度を立ち上げるようなこともすべきではなかろうか。そうすればちゃんと医療監査を受けているクリニックということで,患者が安心して受診できることになる。 また, 学会として各種の施術に関するガイドライン的なものを作成して医療の質を確保するような努力も必要であろう。
3 患者との信頼関係
医療者と患者との信頼関係の構築を図る方策について考える必要がある。 悪徳美容外科医は論外だが,そうでなくても患者からの十分なインフォームドコンセントを取らずに手術しているような例が後を絶たない。著者のところにも美容医療の結果が不満で受診する人は少なくないが,治療結果自体が悪いもののほか,客観的な結果は悪くないのに患者が大変不満をもっているような例も少なくない。これはやはりインフォームドコンセントが不十分と言わざるを得ない残念な結果である。2017年, 消費者庁と厚労省が連名で「美容医療の施術を受ける前にもう一度」という患者向けの注意喚起文書を出したのはほかの医療ではなく美容医療におけるこの問題の深刻さを象徴している。 各種の施術に関してインフォームドコンセントのひな形的なものを日本美容外科学会として作成して会員が使えるようにするなどの対策は,医療の質の標準化という意味でも,患者との信頼関係の確立という意味でも,有意義であると考える。 また,学会が,患者クレーム相談窓口のようなものを作り,当事者同士でのもめ事に介入していくようなことも重要かと思われる。 各種の事例の中で,患者医師聞のトラブル解決に関するノウハウが学会に蓄積されることは大変貴重な財産になるし問題が起ったクリニックに対するアドバイスなどは,当該クリニックにとっても大変ありがたい教育的指導になるだろう。
4 広告宣伝
最後に広告宣伝に関することを述べる。
事実上, 美容医療業界では,ビジネスとしての勝敗(勝ち負け)は広告宣伝の量にかなり依存している。 商品(サービス)の良し悪しの競争ではなく,広告宣伝額の競争で勝負が決まることは望ましいことではない。良い治療をしているクリニックを選びたいと思っている患者にとって,現状の広告宣伝というものがその本来の役割(患者への正しい情報提供)を果たしているとはとてもいえない。また,莫大な広告費を払っているクリニック側にとっても,このコストは,医療の質の改善やより良い医師の確保, 医師の教育につながるような費用とはなっていない。宣伝広告競争はクリニック側にとっても患者側にとっても益のない競争なのである。唯一この競争で得をしているのは広告業界である。
日本では従来から医療における広告宣伝というものが必ずしも患者の利益につながらない,として広告規制を敷いている。 しかし政府は美容医療サービスにおける広告宣伝などの現状を鑑みて, 2017年に医療法などを改正して新たな広告規制に踏み込んだ。大変良い方向性ではあるが,著者はこの規制で十分であるとは思っていない。単にクリニック名を連呼して視聴者に覚えさせるだけのような広告宣伝(患者への意味ある情報提供になっていない)ももっと規制するのが望ましいと考える。例えば,そのような社会的意味のない広告宣伝は売り上げの10%までの額でしか行ってはならないというようなルールを作ることも考えられるだろう。 今は宣伝広告費をひねり出すために仕事をしているような状態のクリニックもあるかのように聞く。 現在莫大な広告費を使っているクリニックにとっても,そのようなルールはむしろ大変ありがたいのではないだろうか。そして,美容医療を受ける患者を増やすという意味での広告宣伝は日本美容外科学会本体が行い,一方,個別のクリニック間での競争は,単なるマスメディアへの露出ではなく,医療の質などを提示するような健全で、意味のある情報の提供によって行われるようにすべきである。
事実上, 美容医療業界では,ビジネスとしての勝敗(勝ち負け)は広告宣伝の量にかなり依存している。 商品(サービス)の良し悪しの競争ではなく,広告宣伝額の競争で勝負が決まることは望ましいことではない。良い治療をしているクリニックを選びたいと思っている患者にとって,現状の広告宣伝というものがその本来の役割(患者への正しい情報提供)を果たしているとはとてもいえない。また,莫大な広告費を払っているクリニック側にとっても,このコストは,医療の質の改善やより良い医師の確保, 医師の教育につながるような費用とはなっていない。宣伝広告競争はクリニック側にとっても患者側にとっても益のない競争なのである。唯一この競争で得をしているのは広告業界である。
日本では従来から医療における広告宣伝というものが必ずしも患者の利益につながらない,として広告規制を敷いている。 しかし政府は美容医療サービスにおける広告宣伝などの現状を鑑みて, 2017年に医療法などを改正して新たな広告規制に踏み込んだ。大変良い方向性ではあるが,著者はこの規制で十分であるとは思っていない。単にクリニック名を連呼して視聴者に覚えさせるだけのような広告宣伝(患者への意味ある情報提供になっていない)ももっと規制するのが望ましいと考える。例えば,そのような社会的意味のない広告宣伝は売り上げの10%までの額でしか行ってはならないというようなルールを作ることも考えられるだろう。 今は宣伝広告費をひねり出すために仕事をしているような状態のクリニックもあるかのように聞く。 現在莫大な広告費を使っているクリニックにとっても,そのようなルールはむしろ大変ありがたいのではないだろうか。そして,美容医療を受ける患者を増やすという意味での広告宣伝は日本美容外科学会本体が行い,一方,個別のクリニック間での競争は,単なるマスメディアへの露出ではなく,医療の質などを提示するような健全で、意味のある情報の提供によって行われるようにすべきである。
まとめ
美容医療には,自費診療である,クリニックの診療圏が広い,教育システムが整っていない,というような通常の医療とは異なる面があり,この特徴ゆえに美容医療がさまざまな問題を抱え,また信頼性のないものになっていると推論した。また美容医療をビジネスとしてみた場合,扱う商品の品質や相場価格などが顧客にわかりづらいなどというような特徴があり,健全なビジネスが育ちにくい業界であると分析した。これらの分析を踏まえて,医師の質,医療の質,患者との信頼関係, 医療広告などにおいて今後の改善策を提案した。
物事の改革を進めるにあたっては,方向性,つまりどちらを向いて歩むのかということが最も大事なことである。「美容医療という業界を信頼される医療の1分野にしたい」というその方向性さえ一致していれば,ほかの些細な意見の違いなどは問題でない。そういう志のない悪徳医師などは排除しつつ,共通の理想をもつ2つの日本美容外科学会(JSAS, JSAPS)と日本形成外科学会,そして厚労省や消費者庁,保健所などの行政や立法府が協力して「信頼される美容医療」の実現に遇進していく必要がある。
物事の改革を進めるにあたっては,方向性,つまりどちらを向いて歩むのかということが最も大事なことである。「美容医療という業界を信頼される医療の1分野にしたい」というその方向性さえ一致していれば,ほかの些細な意見の違いなどは問題でない。そういう志のない悪徳医師などは排除しつつ,共通の理想をもつ2つの日本美容外科学会(JSAS, JSAPS)と日本形成外科学会,そして厚労省や消費者庁,保健所などの行政や立法府が協力して「信頼される美容医療」の実現に遇進していく必要がある。